「先生、その音が耐えられません」——静かな教室で起きた鼻をめぐる小さな事件

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著者 NIHONGO-AI

AIエンジニア/日本語教師

2025/11/21

「先生、その音が耐えられません」——静かな教室で起きた鼻をめぐる小さな事件

「先生、その音が耐えられません」——静かな教室で起きた鼻をめぐる小さな事件

はじめに:凍りついた教室の空気

それは、春の陽気が差し込む午後の初級クラスでの出来事でした。

当時の私は、深刻な花粉症に悩まされていました。授業中、どうしても鼻水が止まらず、かといって「人前で大きな音を立てて鼻をかむのは失礼だ」という日本人的な美徳(あるいは無意識の習慣)から、数分おきに「ズズッ」と小さく鼻をすすりながら教壇に立っていました。

自分の中では、授業を中断させないための「配慮」のつもりでした。しかし、教室の空気は刻一刻と重くなっていきます。

ふと前を見ると、いつも熱心にメモを取っている欧米圏出身の学生たちが、なぜか苦痛に満ちた表情でペンを止めていたのです。一人は耳を塞ぐような仕草を見せ、もう一人は顔をしかめて私を凝視しています。

その時、私は気づきました。私が「配慮」だと思っていたその音が、彼らにとっては「静かな教室に響く、耐えがたいノイズ」になっていたということに。

この記事では、私が体験したこの「鼻をめぐる小さな事件」を通じて、日本語教師が見落としがちな非言語コミュニケーションの盲点と、学習者との真の歩み寄りについて考えてみたいと思います。


「はしたない」と「耐えがたい」の衝突

なぜ、私の「鼻をすする音」は、彼らをあんなにも追い詰めてしまったのでしょうか。そこには、私たちが教科書では教えない、深い文化の溝が横たわっていました。

日本人の「わきまえ」が招いた誤解

私たち日本人は、幼い頃から「人前で鼻をかむのは行儀が悪い(はしたない)」と教わることが多いですよね。特に静かな場所では、大きな音を立てることを極端に嫌います。

【使用例1:日本人の思考回路】
「今、鼻をかむと大きな音が出てみんなの注目を集めてしまう。
少し我慢して、小さくすする程度にしておこう。それがマナーだ」

しかし、この日本的な「わきまえ」は、多くの他文化圏、特に英語圏の学生にとっては、正反対の意味として受け取られます。

学習者にとっての「Sniffing」の破壊力

英語で「Sniffing」と呼ばれるこの鼻をすする行為は、単なるマナー違反を超えて、生理的な嫌悪感を伴う「不快な音」として認識されています。

【使用例2:欧米圏の学生の思考回路】
「なぜ先生は鼻をかまないのだろう?
ずっと鼻水をすすり続けているなんて、不潔で耐えられない。
授業の内容が全く頭に入ってこない……」

ここで、日欧の感覚の差を表にまとめてみました。

視点日本人の感覚英語圏の学生の感覚
鼻をすする音「一時的な我慢」であり、許容範囲。「継続的な苦痛」であり、不快極まりない。
鼻をかむ行為「公共の場では恥ずかしい」行為。「不快感を取り除くための、清潔な処置」。
配慮のベクトル自分の存在を消す(音を立てない)。相手を不快にさせない(原因を取り除く)。

具体的エピソード:そっと渡されたポケットティッシュ

授業が終わった後、一人の学生が私のところに近寄ってきました。そして、少し悲しそうな、でも決意を持ったような表情で、自分のカバンからポケットティッシュを取り出し、私に差し出したのです。

【具体例3:授業後の会話】
学生:「先生、これを使ってください。鼻、かんでもいいですよ……というか、かんでください」
私:「あ、ありがとうございます(あ、やっぱり嫌だったんだな……)」
学生:「先生がずっとすすっているのを聞くのは、私たちにとって、黒板を爪で立てる音(スクラッチ)を聞くのと同じくらい辛かったんです」

この「黒板を爪で立てる音」という表現に、私は衝撃を受けました。私の「配慮」は、彼らにとっては「拷問」に近いものだったのです。


教師としての「身体」を見直す

この事件以来、私は教師としての「身体」が発するメッセージに、より自覚的になりました。私たちの何気ない振る舞いは、単なる癖ではなく、学生に「日本の規範」として刷り込まれていくからです。

逆転移を促す「無意識の指導」の怖さ

もし私が、教室で鼻をすすり続け、それを「マナー」として見せてしまったら、学生はどうなるでしょうか。

彼らは「日本では鼻をすすってもいいんだ」と学習し、その習慣を身につけてしまいます。そして将来、自分の国で重要な会議に出席した際、無意識に鼻をすすってしまい、「教養のない人物」として評価を下げてしまうかもしれません。これが「逆転移」の怖さです。

【使用例4:NGパターン(逆転移のリスク)】
日本で「鼻をすする癖」がついた学習者が、帰国後の外資系企業面接にて:
「(ズズッ……)私の強みは(ズズッ……)」
→ 面接官:「彼は不潔で、自己管理ができていない」と判断。

教師である私たちの身体は、それ自体が一つの「生きた教材」です。だからこそ、自分の国の文化を押し付けるのではなく、多文化的な視点から自分の動作をコントロールする必要があります。

教室のルールを変える「一言」と「一箱」

私はこの経験を経て、教室の環境を少しだけ変えることにしました。

具体例5:ティッシュBOXの配置と宣言 教室の教卓の目立つ場所に、あえて大きなティッシュBOXを置くようにしました。そして、新学期の最初の授業でこう伝えることにしたのです。

【教師からのアクション】
「皆さん、授業中に鼻水が出たら、我慢しなくていいですよ。
このティッシュを自由に使ってください。
日本では大きな音を立てるのは少し恥ずかしいと思う人もいますが、
鼻をすすり続けるよりは、一度しっかりかむ方が、私やクラスメイトへの配慮になります」

このように「鼻をかむのはOK」というルールを明文化することで、学生たちの不快感を取り除き、同時に日本的な「わきまえ」とのバランスを教えることができるようになりました。


実践的なアドバイス:学習者との距離を縮めるために

教師の皆さんが、明日から実践できる「非言語の対話」のポイントをまとめました。

  1. 自分の「音」を客観視してみる
  • 鼻をすする音、ペンをカチカチさせる音、机を叩く音。
  • それが特定の文化圏の学生にとって「苦痛」になっていないか、観察してみましょう。
  1. 学生の「表情」の陰にある理由を探る
  • 学生が急にペンを止めたり、顔をしかめたりしたら、それは単に内容が難しいからではないかもしれません。
  • 非言語的な違和感(マイクロ・アグレッション)が生じていないか、自分を振り返るきっかけにしましょう。
  1. 異文化の「不快感」をオープンに話す
  • 「日本ではこうだけど、あなたの国ではどう?」という問いかけは、教師と学生の対等な関係を築く第一歩です。
【具体例6:OKパターン(歩み寄りの会話)】
教師:「昨日、私は電車で鼻をすすってしまいました。でも、ドイツ出身の〇〇さんは、それを聞いたら嫌な気持ちになりますよね?」
学生:「はい、正直ちょっと辛いです(笑)」
教師:「そうですよね。文化の違いは面白いですね。お互いに気をつけましょう」


結び:言葉の奥にある「身体の対話」

「鼻をすする」という、あまりにも日常的で、教科書には載らないような小さな音。しかし、そこには社会語用論的な深い規範と、文化的な衝突が隠れていました。

異文化理解とは、壮大な歴史や思想を学ぶことだけではありません。目の前の学生がなぜペンを止めたのか、なぜポケットティッシュをくれたのか。そうした小さな「違和感」の正体を、自分の身体を通じて解き明かしていくプロセスこそが、真の日本語教育なのだと私は信じています。

教師もまた、学習者から学んでいる。 あの時、凍りついた空気の中で私を見つめていた学生たちの目は、私に「身体の対話」の大切さを教えてくれた恩人だったのです。

今日からできること

  • 教室にティッシュBOXを置く: 物理的な「許可」を可視化しましょう。
  • 「失礼します」の練習: 鼻をかんだり、席を外したりする際のスマートな一言を、実際に学生と練習してみましょう。
  • 自分の癖に気づく: 学生の視線を「鏡」にして、自分の身体動作を再確認してみましょう。

言葉を教えるプロとして、言葉の奥にある「身体の不快感」にも寄り添える教師でありたい。そんな思いを胸に、今日も私は(ティッシュを忍ばせて)教壇に立ちます。

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著者

NIHONGO-AI

NIHONGO-AI

AIエンジニア/日本語教師

慶應文学部・台湾大学院情報工学科修了。日本語教師を経て外資大手AIエンジニアへ。5ヶ国語習得と異文化適応で培った知見を凝縮。言語x文化x教育xAIの専門性を活かし「言葉と文化を一体として学べる場」の提供に全力を注いでいます。

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