「先生、僕たちは他人なんですか?」——ある中国人学生の涙と、私の「ありがとう」がすれ違った日

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著者 NIHONGO-AI

AIエンジニア/日本語教師

2025/12/3

「先生、僕たちは他人なんですか?」——ある中国人学生の涙と、私の「ありがとう」がすれ違った日

「先生、僕たちは他人なんですか?」——ある中国人学生の涙と、私の「ありがとう」がすれ違った日

はじめに

日本語教師を始めて数年が経った頃、私は一人の中国人留学生、張くん(仮名)と出会いました。彼は私が受け持ったクラスの中で、誰よりも努力家で、そして誰よりも私を慕ってくれていた学生でした。

授業が終わった後も熱心に質問に来て、私の体調が優れないときは一番に気遣ってくれる。そんな彼を、私は教師としてだけでなく、一人の人間として信頼し、可愛がっていました。

でも、そんな彼との間に、言葉にできない小さな「違和感」が常に横たわっていたのです。

それは、彼が——決して「ありがとう」と言わないことでした。

重なる「モヤモヤ」と決定的な事件

最初のうちは、「照れ屋なのかな」「タイミングを逃したのかな」と軽く考えていました。しかし、彼との付き合いが長くなり、就職活動のサポートなどで深く関わるようになるにつれ、その違和感は無視できない「モヤモヤ」へと変わっていきました。

例えば、彼が第一志望の企業の面接を控えていた時のことです。私は彼のために、徹夜で志望理由書を添削しました。真っ赤になった原稿を翌朝、眠い目をこすりながら手渡した時、彼はそれをパラパラと見て、「はい、わかりました。直します」とだけ言って、カバンにしまったのです。

えっ、それだけ? 私の徹夜の努力は?

またある時、私が休暇で実家に帰省し、彼が好きだと言っていた地元のお菓子をお土産に買ってきました。「張くんのために選んだんだよ」と渡すと、彼は中身も見ずに無造作にリュックに放り込み、「じゃあ、また来週」と帰っていきました。

私の心の中に、寂しさと、少しの苛立ちが澱のように溜まっていきました。「私はこれだけ彼のために尽くしているのに、彼は何も感じていないのだろうか?」「もしかして、私の好意を利用されているだけ?」

教師として、見返りを求めてはいけない。そう頭では分かっていても、人間としての感情が追いつきません。

そして、ある日の放課後、ついに私は限界を迎えてしまいました。またしても彼が私の手助けに対して無反応だった時、私は教師としての仮面を外し、感情的にこう言ってしまったのです。

「張くん、そこは『ありがとう』でしょう? 人に何かしてもらったら、お礼を言うのが当たり前じゃないの?」

彼が語った「僕の国の、本当の親しさ」

私の言葉を聞いた張くんは、まるで幽霊でも見たかのように目を見開き、その場に凍りつきました。そして、みるみるうちに彼の目から涙が溢れ出したのです。

私はハッとしました。言い過ぎたかもしれない。でも、彼が次に絞り出した言葉は、私が想像もしないものでした。

「先生……僕たちは、他人なんですか?」

え? どういうこと? 混乱する私に、彼はぽつりぽつりと話し始めました。

「僕の国では……家族や、本当に親しい人には『ありがとう(謝謝)』とは言いません。言ったら、なんだか他人行儀で、壁を作っているみたいだから。先生に『ありがとう』と言うと、先生を遠くに感じてしまうんです」

雷に打たれたような衝撃でした。「家族には言わない」。その言葉が私の頭の中で反響しました。

私が「礼儀知らずだ」「感謝が足りない」と感じていた彼の沈黙は、彼にとっては私を「家族のように信頼している」という、これ以上ない親愛の情の表現だったのです。

私の「親切」の押し付けが、彼にとっては「私たちは他人だ」という冷たい宣言に聞こえていたなんて。

そういえば、と思い当たる節がいくつもありました。

言葉で「ありがとう」と言わない代わりに、雨の日に私が傘を持たずに困っていると、彼は何も言わずに自分の傘を差し出し、自分は濡れて走っていったことがありました。あれは彼なりの精一杯の「行動での報酬」だったのです。

また、私が彼と話すとき、彼は決して私の目をじっと見つめ返すことはせず、いつも視線を少し外して、私の喉元あたりを見ていました。私はそれを「自信がないのかな」と思っていましたが、あれは目上の人に対する日本の「回避の作法」を、彼なりに必死に守ろうとしていた証拠だったのかもしれません。

彼は彼なりに、日本という異文化の中で、私を尊重し、大切にしようとしてくれていた。それなのに、私は自分の「当たり前」という眼鏡でしか彼を見ていなかったのです。

まとめ

その日、私は張くんに心から謝りました。そして、彼の沈黙が私にとってどれだけ嬉しい「信頼の証」であったかを伝えました。

誤解が解けた後、私たちは一つの約束をしました。

「張くんの気持ちは痛いほど分かった。でも、ここは日本だよ。日本の社会では、『ありがとう』と言わないと、みんなが私のように誤解してしまう。だから、これからは『日本チーム』のルールで練習試合をしよう。私が監督で、張くんが選手。どうかな?」

彼は涙を拭いて、照れくさそうに、でも力強く頷いてくれました。

異文化理解とは、本に書いてある知識を覚えることではありません。目の前にいる人の「沈黙」や「不可解な行動」の裏側にある、その人なりの「正義」や「優しさ」に想像力を働かせること。そして、自分の「当たり前」を疑う勇気を持つことなのだと、張くんは教えてくれました。

今でも、彼がふとした瞬間に見せる「沈黙」が、私には愛おしく感じられます。

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著者

NIHONGO-AI

NIHONGO-AI

AIエンジニア/日本語教師

慶應文学部・台湾大学院情報工学科修了。日本語教師を経て外資大手AIエンジニアへ。5ヶ国語習得と異文化適応で培った知見を凝縮。言語x文化x教育xAIの専門性を活かし「言葉と文化を一体として学べる場」の提供に全力を注いでいます。

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