
「エメカ、男なら堂々と話せ。大きな声は、お前が嘘をついていない証拠だ。相手の目をしっかり見て、自分の真実を叩きつけるんだ」
ナイジェリアの活気あふれる街で育ったエメカ(仮名)にとって、父親のこの言葉は人生の北極星でした。西アフリカの文化において、力強い発声と揺るぎない視線は、信頼に値する人間であることの証明です。彼はその教えを胸に、夢を抱いて日本へやってきました。
しかし、その「誠実さ」が、日本では「凶器」に変わってしまうことを、当時の彼はまだ知りませんでした。日本語教師として彼の傍にいた私は、彼がその力強い声のせいで孤立していく姿を、ただ見守ることしかできない時期がありました。
エメカは非常に勉強家でした。敬語も熱心に覚え、職場でも完璧な日本語を使おうと努力していました。しかし、彼が一生懸命になればなるほど、周囲との間に「目に見えない灰色の壁」が築かれていきました。
ある日のプレゼンでのことです。彼は自分のプロジェクトの素晴らしさを伝えようと、父の教え通り、大きな声で、身振り手振りを交えて熱く語りました。
【会議での一幕】
エメカ:「このプランは絶対に成功します!私を信じてください!」(机を叩き、上司の目を力強く見つめる)
上司:「……あ、ああ。分かったから、まず落ち着いて。そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか」
エメカは凍りつきました。怒鳴ってなどいない。自分はただ、最大級の誠実さを見せただけなのに。
また別の日は、コンビニでのトラブルでした。
【コンビニでのやり取り】
エメカ:「すみません、お釣りが違います。確認してください!」
店員:「(震える声で)す、すぐに確認します……申し訳ありません……」
エメカは、店員が自分を恐ろしい怪物でも見るかのような目で見たことに、深いショックを受けました。「丁寧な言葉を使っているのに、なぜ?」「自分はそんなに悪い人間に見えるのか?」
彼は私の前で、大粒の涙を流しました。その肩は、ナイジェリアの父が誇ったたくましさを失い、小さく震えていました。
ここで、エメカが陥った誤解の正体を整理してみましょう。
| 項目 | ナイジェリアでの「誠実」 | 日本での「誠実」 |
|---|---|---|
| 声のボリューム | 80〜100db(情熱・真実) | 40〜60db(冷静・配慮) |
| アイコンタクト | 100%逸らさない(正直さ) | 50%程度。適度に外す(謙虚) |
| エネルギー | 放射・拡大(自信) | 抑制・凝縮(調和) |
日本において、彼の情熱的なデシベルは、相手の「安全領域」を破壊する攻撃として認識されてしまったのです。
ある晩、私はエメカを学校の近くにある古びた居酒屋に誘いました。カウンターだけの、静かな店です。そこで私たちは、言葉少なに料理を作る店主の姿を見つめていました。
店主は、客から注文を受けても「はい」と短く、小さな声で答えるだけ。しかし、その包丁さばき、器を置く丁寧さ、そして客のコップが空きそうになると、何も言わずにスッと冷えたお茶を出す動き。そこには、エメカが知っている「大きな声の誠実さ」とは全く違う、**「静かな誠実さ」**が流れていました。
その時、一人の酔った客が店主に話しかけました。「マスター、今日も旨いよ」。店主は照れたように、わずかに口角を上げ、深く、深く頭を下げました。
エメカはその光景をじっと見て、呟きました。 「先生……あの人は何も言わないのに、とても優しくて、嘘がないように見えます」
私は答えました。「エメカ、日本では『伝える』とは音を大きくすることじゃないんだ。相手の耳元に、そっと『優しさ』を置くことなんだよ」
その夜から、エメカの挑戦が始まりました。彼は自分の持っている巨大な「パワー」を捨てるのではなく、日本という市場に合わせて「パッケージ」し直すことにしたのです。
数週間後、彼は私に報告してくれました。
【変化の瞬間:職場にて】
同僚:「エメカさん、この前の資料、助かりました」
エメカ:(大声で叫びたいのをこらえ、一呼吸置いてから)
「……いえ。お役に立てて、嬉しいです」(少しだけ頭を下げ、穏やかに微笑む)
同僚:「(驚いた顔をして)ああ、エメカさんって、本当はすごく優しい人なんですね」
エメカはこの時、初めて日本人の本当の笑顔を見た気がした、と語ってくれました。
エメカのように、日本で「威圧感がある」と言われて悩んでいるあなたへ。あなたの熱意は素晴らしい宝物です。ただ、その宝物を包む「包装紙」を、少しだけ日本流に変えてみましょう。
エメカはいま、職場で「最も頼りになる、穏やかなリーダー」として慕われています。彼は父の教えを捨てたわけではありません。**「堂々と、嘘をつかずに、相手を想って話す」**という父の教えの本質を、日本流の「静寂」という形で表現できるようになったのです。
日本でのコミュニケーションに戸惑い、涙を流しているあなたに伝えたい。あなたの声は、決して凶器ではありません。使い方ひとつで、人を包み込み、安心させる最高の「愛」の道具になります。
まずは今日、誰かに挨拶する時に、一呼吸置いてから、少しだけ小さな声で「おはようございます」と言ってみませんか?
そこから、あなたの新しい世界が開けるはずです。
あなたの歩む道が、静かで確かな信頼に満ちたものになることを、心から願っています。