
あなたが今、日本の生活の中で感じている「なぜ?」という気持ち、痛いほどよくわかります。
私が日本に来たばかりの頃、私の心はいつも張り詰めた弓のようでした。 「なぜ、もっと効率的な方法があるのに、古いやり方に固執するの?」 「なぜ、誰もおかしいと声を上げないの?」
役所の窓口で、職場の会議で、満員電車の中で。私の目には、日本の社会が非論理的で、改善すべき点だらけの世界に見えていました。そして、それを指摘し、変えていくことが、私の「正義」であり、使命だとすら思っていたのです。
毎日が戦いでした。でも、ふと鏡を見たとき、そこに映っていたのは、眉間に深いしわを寄せた、ひどく不機嫌な自分の顔でした。
この記事は、かつての私のように、日本の「壁」の前で傷つき、疲れてしまったあなたへ贈る、小さな物語です。私がどのようにしてその苦しみから抜け出し、日本での生活を愛せるようになったのか。そのきっかけとなった、ある魔法の言葉についてお話しします。
私の「正義感」が完全に裏目に出たのは、日本の企業で働き始めて間もない頃でした。
あるプロジェクトの定例会議で、私は毎回配られる膨大な紙の資料にうんざりしていました。内容は事前のメールで共有されているものばかり。私は意を決して提案しました。
「この資料の印刷と配布は時間と資源の無駄です。すべてデータ共有にして、会議ではプロジェクター投影だけにしませんか?その方が効率的です」
私の主張は、論理的には100%正しかったはずです。誰も反論できない完璧な「正論」でした。しかし、会議室の空気は一瞬で凍りつきました。
上司は困ったような顔で「まあ、そうなんだけどね、今までこうやってきたから…」と口ごもり、同僚たちは気まずそうに視線を逸らしました。
結局、私の提案は流され、翌週も同じように大量の紙が配られました。それどころか、その日以来、私は職場で「空気が読めない、扱いづらい人」というレッテルを貼られ、少しずつ孤立していったのです。
私は混乱しました。「なぜ?正しいことを提案したのに、どうして私が悪者になるの?」。
あの頃の私が理解していなかった、私と日本社会の「前提」の違いを整理すると、このようになります。
| 私の「正義」(論理的アプローチ) | 日本社会の「現実」(和のアプローチ) | |
|---|---|---|
| 優先順位 | 効率、論理的な正しさ、スピード | 全体の調和、前例踏襲、波風を立てないこと |
| 問題解決 | 原因を特定し、抜本的に変える | 現状を受け入れ、少しずつ調整する |
| 評価基準 | どれだけ成果を出したか | どれだけ周囲と協調できたか |
私は「論理」という武器を振り回して、知らず知らずのうちに周囲の人々の心を傷つけ、彼らが大切にしている「和」を乱していたのです。正論は時として、鋭い刃物になります。私はその刃で、自分自身の居場所をも切り刻んでいました。
心身ともに疲れ果てていたある雨の日のことです。私は雨宿りのために、路地裏にある古びた喫茶店に入りました。
客は私一人。カウンターの中で、初老のマスターがゆっくりとコーヒーを淹れていました。その穏やかな所作を見ているうちに、張り詰めていた糸が切れ、私はマスターに職場の愚痴をこぼし始めていました。日本の社会がいかに非効率で、理不尽かということを。
マスターは黙って私の話を聞いてくれていましたが、私が話し疲れた頃、湯気の立つコーヒーカップを私の前に置き、静かに言いました。
「あんた、風に向かって走りすぎだよ」
え?と顔を上げた私に、マスターは続けました。
「強い風が吹いてきたら、無理に進もうとしなくていいんだ。立ち止まって、目を閉じて、風が通り過ぎるのを待てばいい。それをここでは『仕方ない』って言うんだよ」
「仕方ない(Shikata-ga-nai)」。 それは私が最も嫌いな日本語でした。それは「諦め」であり、「敗北」であり、思考停止の言葉だと思っていたからです。
「マスター、私は諦めたくありません。間違っていることは変えたいんです」と反論する私に、マスターは微笑んで言いました。
「『諦める』っていうのはね、仏教の言葉で『明らめる(あきらめる)』、つまり『物事のありのままの姿を明らかに見る』って意味もあるんだよ。自分の力ではどうにもならない大きな流れがあることを認めて、受け入れる。それは負けじゃない。自分を苦しみから解放してあげることなんだ」
「自分を苦しみから解放する」。その言葉が、私の心に深く刺さりました。
マスターの言葉の意味を本当に理解できたのは、それから数ヶ月後、大型台風が東京を直撃した日のことでした。
計画運休で電車が完全に止まりました。駅の改札前は人で溢れかえっています。以前の私なら、駅員に「いつ動くんだ!」と詰め寄ったり、SNSで鉄道会社の対応を批判したりして、イライラを爆発させていたでしょう。
しかし、ふと周りを見ると、多くの日本人は静かでした。スマホでニュースを見たり、本を読んだり、あるいはただ目を閉じて座り込んだり。彼らの姿からは、「今はどうしようもない」という静かな受容が感じられました。
その時、マスターの言葉が蘇りました。「風が吹いたら、目を閉じればいい」。
私は深呼吸をして、心の中でつぶやいてみました。 「…仕方ない。これは台風だ。人間の力ではどうにもならない」
すると、不思議なことが起こりました。今まで胸の奥で渦巻いていた怒りや焦りの感情が、スッと消えていったのです。代わりに、諦めにも似た、でも穏やかな安堵感が広がりました。
「なんだ、これで良かったんだ」
私は駅のベンチに座り、持っていた文庫本を開きました。電車が動き出すまでの数時間、私は驚くほど穏やかな気持ちで過ごすことができました。
それは、私が初めて日本という国と、戦わずに「和解」できた瞬間でした。
それからの私は、少しずつ変わっていきました。 理不尽なことに直面した時、すぐに戦闘態勢に入る前に、一度立ち止まって考えるようになりました。
もし後者なら、私は魔法の言葉を唱えます。「ま、仕方ないか」。 そうやって受け流すことで、私は自分自身のエネルギーを、怒りではなく、もっと楽しいことや、大切な人との時間のために使えるようになりました。
「仕方ない」は、決してネガティブな言葉ではありません。それは、完璧ではないこの世界で、私たちが心を壊さずに生きていくための、最強のメンタル防衛スキルであり、自分自身への優しさなのです。
今、日本で苦しんでいるあなたへ。どうか、正しさで自分を追い詰めないでください。時には「仕方ない」とつぶやいて、肩の荷を下ろしてみませんか?
世界は相変わらず理不尽かもしれませんが、あなたの心は、きっと少しだけ軽くなるはずです。